2020年9月11日金曜日

ほんの5-60年前の話

わが町 上町はあちこち戦争の傷跡がまだ有りました。

 思い出すまま、当時を語ります。


鹿児島市電は柳町が終点でした。

 小さなボデイの電車が終点に着くと、運転手が電車の集電装置ポールを
  ぐるっと向きを変える作業をします。
   架線にポールが着く瞬間に青白いスパークがしました。中々の迫力でした。

    その後、春日町まで延伸され、更に清水町まで延伸されました。

国道10号線の事

国道10号線は長田町で国鉄日豊本線の踏切を渡っていました。
  陸橋が作られ立体交差になりました。
   その時、西郷隆盛の私学校の石垣は山手に10m程移築された。
   西南戦争の弾の後として説明されている石垣の事です。

 稲荷町のトンネルの事
  小学1年生の時、学校から海水浴場へは日豊本線のトンネルの上を
   超えて歩いていきました。「山越えでした」
   2年生の時は完成した国道トンネル「鳥越トンネル」を歩きました。
  それまでの国道は八坂神社から海岸回りでした。途中に「琉球人松があります」

親子ラジオの事

 町内に裸電線をひきまわしてラジオを再放送する親子ラジオの親局が有りました。
 たしか電気屋の親父さんが経営していた。
 受信機とアンプがあり中継形式でNHKを放送していたと思う。
   子供たちは「メンソレータムの空き缶」と「針金」で受信機を作った。
   アンテナと称して40センチ程の針金をその裸電線に引っ掛けると放送が聞こえた。
   今考えると可なりの高電圧が掛かっているのだが感電しなくて良かった。

ラジオの事

 まだ民放はなくNHKのみであった
  音楽番組でステレオ放送というのがあった。
  左側のスピーカーを第一放送の受信機に右側を第二放送の受信機に接続。
  試験放送があり ただ今から左側から、これから右側とアナウンスがあり
  最後に中央から聞こえるように調整すると準備OK
  しばらく、ステレオ音楽が流れた。

  現在のFM放送は当然ステレオである。